歴史から学ぶ日本のこころセミナー

去る、3月30日(月) PM19:30より三観荘にて、
社団法人 燕三条青年会議所 日本のこころ委員会が主催する
委員会セミナー『歴史から学ぶ日本のこころセミナー』が開催された。
まず、長谷川直哉理事長より挨拶があり、「2008年度新潟ブロック協議会
慈愛委員会の委員長の時に、この国では尊敬する人物が誰かという
学生にアンケートをした所、 親、学校の先生、友達、芸能人が上がるが
歴史上のヒーローが上がって来ない。他の先進国、発展途上国では
その国の歴史上のヒーローが出てくるのに日本ではそれがない」と
いった事例を学んだことを紹介し、さらに
「こんな時代だからこそ歴史から学び方を学ぶ、何か困った時
何かアイディアが必要な時に歴史上から紐解くヒントを学べると
思います。何かポイントを持ってもらいこの時どう感じたか自分ならどうすると
常にリアルに今と照らし合わせて学んでいくようなスタイルを今日少しでも
覚えて頂ければ幸いです。日本のこころ委員会を通じて今のこの大変な時代を
みんなで元気に過ごせるようなヒントとなるセミナーになることを期待します」と
いう言葉で挨拶を締めくくった。

その後、相場委員長より歴史小説天地人の内容から抜粋し現代社会に置き換えて
グループディスカッション形式でセミナーを実施をすると説明があった。

エピソード1

■死を覚悟の交渉

直江兼続は21歳で上杉家の家老となって、その後40年に亘り上杉家を
支えた人です。御館の乱の時、春日山城をおさえた景勝軍ではありましたが、
城の周囲を景虎軍に押さえられ兵糧攻めにあう。この時、兼続は桑取に交渉します。
桑取の人々は謙信の父が春日山城を築いてからの付き合いで非常に謙信の代まで
忠誠心を持って野良仕事をしていた農民の方たちです。
野良仕事に出かける時でも茜色のふんどしを締め刀を差して自分達の
独立の立場を世にしめた非常に誇りを持って何か有った時には城を守ると忠誠心
が強い方達でございました。この桑取の農民に声を掛けそれを突破口にして米を
城に運び入れようと景勝に提案しました。もしかすると桑取は景虎側に付いている
かもしれない。話に行くには非常に危険な状況でしたけれど兼続は一人で交渉しました。
村人達は、この頃まだ十代の兼続を見て、新しい殿様はこのような者を寄こしてなめているのか
と憤りました。景虎は良い条件を持ってきている。お前は何を持ってきたと言われ兼続は
何も約束できない。逆に訊きたい。何の為に茜色のふんどしを締め刀を差して野良仕事を
しているのか。お前達は目の前の利益によってその大将の器量を差し測るのか。
そこで兼続は斬られそうになるのだが、ここで俺を切ってもそれと同時にお前達は誇りを
捨てることになると堂々と言い切って交渉を成功させたのです。と兼続のエピソードが紹介された。

【ディスカッションポイント】
・なぜ兼続は死を覚悟して交渉を成功させたることができたのか。
・なぜ村長をはじめ村人は何も約束できない兼続の要求を呑んだのか。
似たような現象を現代社会に置き換えてグループ内でデスカッションを実施して班毎に
発表が行われた。

〔発表内容〕
:兼続は誇りを持っている相手の立場を尊重してリーダーの存在意義、プライドをうまく
刺激したのが成功に繋がったと思う。現代社会においても同じ武器で戦わないことが大事で
交渉先の相手をよくわかっての交渉が非常に大事なんだと思います。
:中国製は値段が安くてもすぐ壊れる。日本製品は価格は高いかもしれないが、使う人の事を
考えてまで作っている。保障もしっかりしていて日本製品の良い所を納得してもらえれば
値段が安くなくても買って頂けることもある。現代社会でも相手の求めているものをよく把握し交渉に臨み        
買い手の心理を突くところも重要ではといった発表があった。



エピソード2

■信長軍の急成長

織田信長軍は徹底した実力主義、能力主義の下に急成長しました。
そのギチギチの合理性が逆に部下の間に熾烈な競争争いを起こして人間関係が
非常に悪くなって自分の所さえ良ければよいといった風潮になって来ました。
明智光秀の実績が全て柴田勝家の実績になってしまう。自分の実績に繋がらないと思った
明智光秀は途中で兵を引き上げてしまう。これは利益によって結びついている組織、集団の
もろさを表しております。
また明智光秀は実績を上げて成長した素晴らしい武将であったのですけれど失敗がたまたま
続いて次第に立場を失って行きました。このような状況の中で織田信長を殺せば、自分が
天下人になれるという考えが目の前にちらついたのがその様な事に出たと考えられます。
と説明があった。

【ディスカッションポイント】
・合理性むき出しの実力主義の中では人はどのような精神状態に追い込まれるのか。
また、このような組織の中で人間関係はどうなるのでしょうか。
・日本は独特の終身雇用制度があり、能力主義と比べると良い面、悪い面どのような違いが
ありますでしょうか。

〔発表内容〕
:能力主義というのは逆に個人を信じていないから出てきた制度ではないか。なので個人の
損得でしか動けなくなっているのではないか。
:実力主義と終身雇用が本当に相対するものなのかという話から始まり、実力主義はもちろん
お互いが競い合って成長して行けるという長所もあるのだけれども個々に環境が違ったり
比べる尺度が違う中で本当に競争だけでいいのか。片方だけに偏るのではなく
双方の良い面を取り入れることが大事だという結論に達しましたと発表があった。



エピソード2
■直江兼続のリーダーシップ

越後の130万石から米沢の30万石になった上杉家。
大幅な人員整理も覚悟しなければならなくなった。その状況で兼続は、六万石から一万石に
削減してその半分を部下達に渡されました。家臣たちも三分の一に石高を減らされて
4世帯5世帯が一つの家に住む厳しい状況になりました。
しかし、誰一人として上杉家を去るものは居ず、皆協力して冬を越していった。
兼続は水不足が深刻であった米沢の地で農業用水、新田開発、商工業、鉱山開発
といった事業を実施し藩を盛り立て、治水工事も先頭に立って泥まみれになって工事をしました。
と説明があった。

【デスカッションポイント】
・このような大不況下でも去るものは何故いなかったのか。
・兼続と同じ状況であったらどのような判断をされますか。現代社会で似たような現象が起きてます。
この状況を慈愛の精神をもって突破できないのだろうか。

〔発表内容〕
:慈愛の精神でいつも家来に対応していたので立場が悪くなったからといって見捨てるようなことは
せず、上杉家を守ろうという気持ちで去るものは出なかったのではないか。
:トップの姿勢が肝心で率先して身を削る。将来を掲げることでこの不況も打破できるのではないか。
と発表があった。

最後に、この委員会セミナーの講師であった相場委員長より
兼続の愛とは今で言う会社理念を一言で表して、兜につけたのではないでしょうか。
越後の先人がもった慈愛の精神をしっかりと受け継ぎこれからのJCの事業、会社経営について
生かしていかなければならないとの言葉を持ってセミナーを締めくくられた。

広報渉外委員会 小林 貴史