- 2011-05-01 (日) 0:00
- 理事長の想い
メンバーの多くは、学校進学や就職などで燕三条地域から一度は県外に出た経験があると思う。全員がそうだと言ってもいいのはないだろうか。そして県外に出たときに必ず「お国自慢」をしたことがあるはずだ。
私は学生時代を本州の端で過ごした。燕三条から直線で1000㎞はある。離れてしまえばどこでも同じようなものだが、やはり「遠く離れた」意識はなくならず、テレビ等で新潟(特に燕)の風景や映像が出ると、仲間に過度に「お国自慢」をし、「言い過ぎだ!」と冷やかされたものである。
県外に未知の可能性を求めて出ていったにもかかわらず、今こうして、燕三条に骨を埋めようとしている。
ほかにも数え切れないほどのまちがあるのに、燕三条でなければダメなんだ。
やっぱり、生まれ育った「ふるさと」だ。
被災地の方々も同じ想いだと思う。
がれきの山と化した「ふるさと」。他人からみれば「またここで暮らすことは出来ないだろう」と思うけれど、地元の方々は「またここで暮らすんだ」と復興作業を少しずつ進めておられる。
燕三条が今回のような震災に見舞われたら、私はどうするだろうか?と考える。
みんなにも考えてほしい。
なにものにも代え難く、言葉では言い尽くせない、まちを愛する気持ちがみんなに宿っている。一生涯、暮らし続けるであろうこのまち、ふるさと「燕三条」に元気になってもらいたい。
そして同じく「ふるさと」の復興を願う東北の人にその元気を届けたい。
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