~情熱ある若者大陸~ 越後三条鍛冶集団研修生 福迫さん

情熱ある若者大陸へようこそ!いよいよ12月。いよいよ新しい年の足音が聞こえ始めてきましね・・・

さて、三条市は古くから鍛冶が盛んな地域で、「越後三条打刃物」は国指定伝統的工芸品にも認定されています。  そんな伝統ある「鍛冶の技」を、広く知ってもらい、後継者へと受け継いでいくために、三条市は平成17年に鍛冶体験施設「三条鍛冶道場」をオープンしました。『情熱ある若者大陸』第11回となる今回は、そんな「三条鍛冶道場」の研修生として三条市に移住し、現在は三条市の「日野浦刃物工房」で修行中の福迫泰洋さんにインタビューをさせて頂きました。

「情熱ある若者大陸」に登場された方の中で断トツに最年少の“若者”による、夢にあふれたインタビューをどうぞご覧ください。

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齋藤 まずは、ご出身と年齢、どのような経緯で燕三条に来られたかをお聞かせください。

福迫 僕は20歳です。九州の鹿児島出身なんですけど、元々鍛冶屋になりたいという夢が小さい頃からあったんですが、地元に鍛冶屋がなかったのでどうしようかなと思ってて。高校3年の時に三条鍛冶道場のHPを見て、そこに「鍛冶屋になりたいんですけども」というメールを出したら「一度見に来られたらどうですか?」という返信をいただいたので、高校3年の11月か12月頃に一度ここに見に来ているんですけども…その時に初めて鍛冶屋を見て、驚く事がたくさんあって。本当に昔ながらの下が土場で、一生懸命手ではたいてる人を見たり、工業化が進んでプレスばっかりでやってるところもあるし。いろんなものを見て感じたのはやっぱり…「スゴイなぁ!」と思って。

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齋藤 なるほど。小さい頃から鍛冶屋になるのが夢…なにかキッカケがあったんですか?

福迫 ありましたね。だいぶ前なんですけど、昔本屋か図書館でナイフや刃物の本を見たことがあるんですが、そこにとても綺麗に刃物が写ってて…すごく綺麗だなぁと思って。見るだけではなく作ってみたいという思いがそこに生まれて、鍛冶屋になりたいなと思いました。

齋藤 それはいつ頃のお話しですか?

福迫 ん~、中学生頃だったと思います。

齋藤 身内に職人さんがいるなら理解が早いですが、なかなか中学生で職人さんになりたいっていうのは…変わってますね(笑)ちなみに高校は普通高校なんですか?

福迫 農業高校だったんです。

齋藤 高校進学についてはそこは関係なかったんですね。むしろ農業がやりたいと思って農業高校だったんですか?

福迫 いや…当時の僕のアタマで入れるところがそこぐらいしかなくて…(笑)。とりあえず高校ぐらいは出ておかないと今の時代、就職先すら見つからないので。

齋藤 では特に農業志望ではなかったんですね。

福迫 そうですね、入った後も「なんでここに入ったんだろう」って思ってました(笑)

齋藤 そんな農業高校での生活中は「鍛冶屋の夢」について、何か考えてましたか?

福迫 はい、常に考えてました。

齋藤 じゃあ卒業したら鍛冶屋になりたいと思っていたんですか?

福迫 はいそうですね、先生と相談したりしていました。そこでいよいよ「三条鍛冶道場」を探して…という経緯です。

齋藤 地元・鹿児島を離れて、高校生で新潟に行くという事も勇気が要ったのではないでしょうか…。九州で探す等の選択肢もあった中で、どうして三条を選ばれたのですか?

福迫 三条を選ぶ前に大阪に電話したり、福岡に手紙を送ったりしたのですが…。大阪だとすべて「分業制」で、自分ひとりで最後まで手掛けるという事ができないとのことなので、大阪は可能性から外れました。福岡のご担当者はご病気だったので無理だったというのもありました。どうしようと途方に暮れてインターネットを見ていたら、偶然「三条鍛冶道場」に行き着いたんです。

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齋藤 鹿児島からはとても遠い新潟ですが、元々新潟や三条についてどんなイメージがありましたか?

福迫 新潟は「米どころ」「雪が降る」…食べるには困らないけど住みづらそうな場所だなと思っていました。

齋藤 そんな環境のイメージにもかかわらず、「三条に来よう」と思った大きな決断について、理由を教えてください。

福迫 三条鍛冶道場や周辺の工場を見せて頂いたときに出会った三条の職人さんたちのイメージが、自分が昔から抱いていた「職人像」のイメージと合致したからですね。製品を作るのにも…ちょっと言い過ぎかもしれませんが「命かけてる」みたいな、すごい必死な感じで、「かっこいいな」と思いました。なので鍛冶屋になるなら新潟の三条に来ようと、高校生の時に思いました。

齋藤 ちなみに「新潟で鍛冶屋になる」という話をご家族や学校の先生にした時、周囲はどんな反応でしたか?

福迫 親はとても寛容で、むしろ「鍛冶屋になれ」と最初から応援してくれていました。学校の先生も一緒になって探してくれたりしました。

齋藤 小さい頃から「職人さん」は周りにいたんですか?

福迫 親戚などで職人さんは周りに多くいました。そういう意味で、両親は寛容だったのかなとも思います。

齋藤 なるほど。では福迫さんの中学や高校の同級生などは皆さんどんな進路だったのでしょうか。

福迫 進学する人もいました。会社に就職したという人はあまり聞かなかったですが、何かしらの形で仕事を始めた人は多かったと思います。

齋藤 そんな中で…周りの友人なんかはどんな反応でしたか?「オレ、新潟行くんだ」って言った時とか。

福迫 「…なんで?」って言われました(笑)

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齋藤 そりゃそうですよね(笑)新潟ですもんね。

福迫 やっぱり九州の人ってあまり九州から出たがらないので、同級生の中でも県外…特に本州の方に行く人はかなり少なかったと思いますので、みんな当たり前のように驚いてましたね。

齋藤 それでは高校を卒業してすぐに三条鍛冶道場に入られたのですか?

福迫 いや、入ったのは去年だったんです。三条鍛冶道場の研修生募集があったのが去年の9月で、それまでの2年間は地元で木工関係の専門学校に入ってたんですよ。…高校3年の時に一度三条には来ましたが、当時はまだ心の準備が足りてなかったせいか就職できなくて、「刃物に興味があるんだったら、とりあえず刃物を『使う』方の学校に入ってみないか」ということで、地元の木工関係の専門学校を紹介されて、そこで2年間勉強してたんですけども、2年生の時に鍛冶道場から「研修生募集」の連絡をもらって、そこで応募したんです。なので、専門学校も卒業ではなく「就職退校」という形を取らせてもらいました。

齋藤 そうなんですね、高校3年生の時は募集が無かったとかではなく、ご自身の心の準備が足りなかったからという事ですが、いずれは行きたいという気持ちは変わらなかったんでしょうか。

福迫 いずれは行こうと思っていました。

齋藤 専門学校の時の募集の時は、覚悟を決めてましたか?

福迫 そうですね、その時はもう19歳で、もう大人になったら新潟に行こうと思っていたので、即決で応募しました。9月の募集で…10月頃には単身新潟に来ました。

齋藤 実際住み始めてみて、新潟や三条という土地はどう感じましたか?

福迫 鍛冶道場の目と鼻の先に住み始めたのですが、まずは電車の便がいいなと思いました。

齋藤 鹿児島のご実家はわりと郊外の方ですか?

福迫 田舎ですねぇ…3km行かないとコンビニもなくて、山の上の方に住んでるんです。山を下りないとコンビニが…(笑)なので、三条に来て「ここは街だなぁ」と思っています。

齋藤 生活をするのに、三条という場所で「ここが便利・不便」と感じるところはありますか?

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福迫 来たのは10月頃で、その後11月か12月にすごい豪雪で地面が凍ってて。移動手段が自転車しかなかったので、その時は「これはちょっと…外出できないな」と思いました。

齋藤 鹿児島では雪は降らないですよね?

福迫 たまに降る事もありますけども、積もりはしないですね、降った時にはもう融けてます。1cm積もれば「今日は雪が多かったね」って感じです。

齋藤 三条の冬はどうでしたか?

福迫 …異常ですねやっぱり(笑)鹿児島出身の僕からしたら寒いですしね。夏は暑かったですけど、一貫して気温が肌寒いなと感じます。あと、雨も冷たいです。なんか氷水を打ちつけられてる感じ。圧倒的に気温差を感じます。

齋藤 では、三条と鹿児島では、福迫さんが感じる「人間の違い」はありますか?

福迫 まぁ鹿児島でもあまり人と接してないんですけど、こっちに来て感じたのは、すごい心が温かい人が多いなって思います。買い物に行ってもオマケしてもらえたりとか、「あっこういうことするんだ…」と思って。新潟寒いけど人はあったかいんだなって思いました。そこはこの半年、もうすぐ1年経ちますが、非常に感じます。

齋藤 では雪以外にカルチャーショックを受けたなど、習慣や文化の違いは感じますか?例えば、言葉はわかりますか?

福迫 言葉は…すごい早口ですね、それは聞き取れなかったりする時はあります。社長(日野浦刃物工房・日野浦社長)は標準語に近いので聞き取りやすいです。

齋藤 でもお年寄りとかは結構訛りがありますもんね。

福迫 そこは感じ取ることでしかできないですけどね。

齋藤 逆に福迫さんは鹿児島弁出ないんですか?

福迫 そこがすごい不思議なところなんですけど、県外に出たら標準語に近い感じになります。鹿児島に帰ると周囲に感化されてすぐ鹿児島弁になりますけどね。

齋藤 (新潟と鹿児島で)食べ物の違いとかは感じますか?

福迫 新潟はすごいお米が美味しいですね。

齋藤 今は一人暮らしなんですか?

福迫 はい、自炊も…自分で料理作ってます。

齋藤 スーパーマーケットで売ってるもので違いを感じたりはしないですか?

福迫 柿の種の種類が…1種類だけかと思ってたらカレー味とか色々あるんだなと思いました。

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齋藤 そうですか(笑)じゃあ大きな違いで言ったら圧倒的に「雪」なんですね。

福迫 そうですね、車が無いと特に冬はどこにも出かけられないですね、寒いですし(笑)

齋藤 寒さ対策とかどうしてますか?鹿児島にこたつ…ないですよね??

福迫 鹿児島にもこたつありますよ(笑)けど鹿児島ではこたつだけで充分ですし、ストーブまでつけてるのは鹿児島では無いですね。…あとはもう厚着するしか方法が無いですね、家の中で靴下を履いたというのは初めてでした(笑)

齋藤 あぁ~!(笑)確かに。それはオモシロイですね。では話を戻しますが、去年三条に引っ越してきた日にちは覚えていますか?

福迫 10月の最初の週だったと思います。

齋藤 そこから鍛冶道場で働きながら、どのような生活が始まりましたか?

福迫 鍛冶道場が8:30から始まるので来て。勉強という勉強は無かったですが、とりあえずハンマーの使い方を覚えろという事で火を起こして、ずっと鉄を叩いていました。まず鍛冶道場では「モノを手で作るのに慣れよう」という研修が始まり、それが2月頃まで続きました。

齋藤 鍛冶道場は朝8:30から何時までで、週5日勤務の土日休みとかですか?

福迫 17:30までで週5ですが、日曜日・月曜日が休みです。

齋藤 勉強不足ですみませんが、鍛冶道場というのはお金を払って勉強をする学校のような所なのでしょうか?

福迫 いや学校とはちょっと違いますね…。お金ももらえます。市が研修生の募集をして、市が研修生にお金を払って後継者の育成をする計画なので、給料という形で頂けます。

齋藤 最初から給与形態はご存じだったんですか?時給なのか、月給なのか、いくらなのかとか…。

福迫 いや、HPなどにも載っていないのでわかりませんでした。市の方が僕を研修生として受け入れますという話の中で初めて金額等は知りました。

齋藤 ちなみに給与形態の話を初めて聞いた時はどう思われましたか?

福迫 いやビックリしました、そんなにもらえるんだと。木工関係の専門学校の時に弟子入りをした先輩に聞いたら月に9万程度だと聞いていたので、自分もそれぐらいかなと思っていました。学びながらもお給料がしっかりもらえるのはビックリしました。

齋藤 10月~2月まで鍛冶道場にいた5ヶ月間の生活はどうでしたか?

福迫 朝は5時か6時くらいには起きているんですが、8:30に出勤して、さっき言った鉄を叩く作業が17時までずっとそれだったんです。で、家帰ったらすぐご飯の準備して、お風呂入って、いろいろしてから次の日に疲れを残さないように22時、23時くらいは寝るという生活でした。

齋藤 その生活は辛かったですか?楽しかったですか?

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福迫 辛さと楽しさが半分でしたね(笑)学生と仕事では全く違うのでそこは慣れるのが大変でした。それでも「僕はここに来ているな」という実感が強かったです。

齋藤 周りの研修生たちも県外からの人が多かったですか?

福迫 そうですね、10月に入ったのは僕だけだったので、正確には同期はいないのですが、

研修生の先輩の中で一人だけ地元の方がいましたけど、他は北海道からだったりもしてました。

齋藤 研修生の先輩との人間関係はどうでしたか?

福迫 僕が一番年齢が下だったのもあり、優しくしてもらえました。

齋藤 ではその研修中にあった辛いこと…例えば「もう辞めたいな」とまで思うような事はありましたか?

福迫 それは無いですね、それはさすがに無いです(笑)…20年間鹿児島にいたので、鹿児島に飽きてたのもありますけどね(笑)鹿児島から出るというよりはとりあえず九州から出たいという気持ちもあったので。見慣れない土地で、やりたい事をやっているという充実感はあります。

齋藤 なかなか鹿児島には帰れないと思いますが、親とか友達とかがいない環境で寂しくないですか?

福迫 寂しさは無いですね、帰りたいとも思っていないので…。新幹線にずっと1日乗ってれば鹿児島着きますし、親が恋しいという事も無いですね(笑)鹿児島ではずっと親と一緒だったので、充分かわいがったからもうどこに行ってもいいよみたいな感じでした。

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齋藤 親御さんからは心配されないんですか?(笑)

福迫 心配はされないですね、ちょくちょく電話は来ますけど、これと言って心配してる様子は無いですね。親からは「お前ならどこに行っても大丈夫だ」と言われています。

齋藤 なるほど、親御さんからもかなり信頼されているんですね。では鍛冶道場の話ですが、今後「卒業」というか、どこかで終了を迎えるものなのでしょうか?

福迫 はいそうですね、研修生として受け入れるのは5年間だけなので、5年後には日野浦工房(現在の研修先)に残るのか、独立するのかの選択をすることになります。

齋藤 いまの工場に来ているのはいつからですか?

福迫 3月からです。候補になる工場は5軒あったのですが、その中から選んで日野浦工房に来ました。

齋藤 そのとき何故、日野浦工房さんを選んだのですか?

福迫 最初から僕は鉈(なた)を作りたいなという目標があったので…

齋藤 なぜ、鉈(なた…木を切る道具)なのですか?

福迫 包丁とかも考えたのですが、鹿児島の家が元々山間部で、使っている身近な刃物が鉈だったんです。もちろん実家にもありますので、刃物を作るのなら鉈がいいな、鉈がかっこいいなと思っていました。自分でも使っていたので、包丁よりも鉈の方が身近な存在でしたね。

齋藤 一般の生活をしているとなかなか鉈を使う機会がないので、なるほどですね。

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福迫 山が無いと鉈は使わないですもんね(笑)三条にも鍛冶屋はたくさん種類がありますが、鍛冶屋と言えば包丁とかですもんね。むしろ包丁やナイフを作らない、刃物じゃない道具を作る鍛冶屋さんを見て、鉈を作っているところを初めて見た時には僕自身も衝撃でした。鉈そのものを見て「これどうやって作ってるだろう?」とは思った事無かったので(笑)高校3年の時に日野浦工房に来てそれを見て…すべてが変わりました。

齋藤 それでは高校3年の見学の時から日野浦工房さんに来たいという希望があったんですね。

福迫 はい、ありました。鉈を作っているのはここしかなかったですし、高校3年の時に初めて来たときに見て「すごいな」と感動したので、ここに来たいと思っていました。

齋藤 今、日野浦工房さんに来られて、実際に携わっている事はなんですか?

福迫 まだ入ったばかりなので仕事の内容は限られていますが、それでも自分がここに来たいと思って来ているので作業に飽きる事は無いですし、「モノづくりって難しいなぁ」って思う面もすごく感じられるし。…やっぱり「職人ってすごいんだなぁ」ってつくづく思って仕事しています。

齋藤 具体的にはどのような作業内容なのでしょうか?

福迫 僕は主に「研ぐ」作業です。だいたい形ができたものを調整するのにグラインダーで研いだりする作業を担当しています。あとは刃を研ぎ下ろしたりする作業なんかもさせてもらっています。

齋藤 今の状況と鍛冶道場で過ごしていた状況と、何か違いはありますか?

福迫 違いますね、鍛冶道場ではハンマー使って叩かせてもらえたりしてましたが、こっちに来たらそんなすぐ、素人に叩かせるわけいかないですし、まずは仕事の流れを崩さない程度に関われています。初めての人でもだんだん慣れてきたらできるところからさせてもらえています。

齋藤 なるほど、日野浦工房さんに来て半年になりますが、楽しいと思う時はどんな時ですか?

福迫 例えば見本があって、この形の寸法通りに削れたなとか、見本通りに自分がちゃんとできたという時が、今は一番楽しいですね。物を切るときにでもしっかり寸法通りに切れたなとか、今までは不慣れでできなかった事が、だんだん慣れてくればできるようになっていくんだなと実感できる事が楽しいです。

齋藤 逆に、苦しいとか辛いと思う事はありますか?

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福迫 ありますね…一番は、大きな失敗をしてそれがもう製品にならなくなってしまった時があったりとか…。「ちょっとこれはもうだめだから」と捨てられたりとか。そういう時は落ち込みます。

齋藤 親方(日野浦社長)はどうですか?優しいですか?怖いですか?

福迫 すごく優しいです。職人って怒られるのが当たり前だと思って来てるんで、逆に怒られないです。他の工場だとまた違うのかもしれないですけど「あぁ…こんな優しい職人っているんだ」と思います。

齋藤 僕も先程親方とは少し話をさせて頂きましたが、いわゆる職人気質というよりはビジネスマンに近い印象を持ちました。

福迫 親方も元々家が鍛冶屋だったのですが、鍛冶屋になりたくなくて、若い頃は営業の方をされていたそうなので、考え方が少し違うのかもしれないですね。確かに海外進出とかグローバルにされてる事を考えると他の鍛冶屋とは違いがありますね。

齋藤 そんな親方に対してはいま、どういう思いでいますか?

福迫 考え方もグローバルというか、常に未来を見ているというか、先見の明があるというか、決断力も勇気もあって、そういうところを尊敬しています。

齋藤 親方は福迫さんに対して細かく教えてくれますか?それとも「見て学べ」というタイプですか?

福迫 「見て学べ」というよりかは、僕が質問をした事に対して丁寧に答えてくれるという感じです。

齋藤 福迫さんは結構、積極的に聞きに行くんですか?

福迫 まだ…何を聞いたらいいのかわからないこともあるので、そこまでは…(笑)あと、親方は「手取り足取り教える」という感じではないです。

齋藤 じゃあ自分自身やりながら学んで、わからない事は聞きに行けるという様子なんですね。普通の会社ですと上司が一緒に取引先に連れていったり、細かく指導が入ったりしますが、職人の世界だとそこが少し違うんですね。

福迫 そうですね。自分自身が育っていかなきゃいけないという環境だと思います。

齋藤 そういう環境は、ご自身で周囲と比べて「普通とは違う、特殊な環境」と感じる事はありますか?

福迫 感じますね(笑)やっぱり同級生の話とか聞いてると、先輩の愚痴だったり、仕事を辞めようかみたいな内容もありますが、僕から見たら仕事に対してやる気が無いように見えてしまいます。

齋藤 今20歳ですよね、そのくらいの歳だと働いてない人もいる中で、「俺はこの仕事で一人前になりたいんだ」って明確に強い思いを持っている人は、世の中にそんなに多くはいないと思います。福迫さんから今の同じ世代の大学生とかを見て「遊びたいな」と思ったりする事は無いんですか?

福迫 それは無いですね…元々親からも「20歳になったら家を出て働け」と嫌というほど言われていたので。なので自分は20歳から遊ばずに働くものだと思っていましたので、遊びたいなという思いも無いんです。「これやりたいな」という事があっても自分は10代の頃に遊びつくした感があるので、とりあえず今は仕事だなと思っています。

齋藤 それでは三条に来て1年、これが一番の苦労だったとか、乗り越えたこととかはありますか?

福迫 仕事上の大失敗をしてしまった時などは「自分この仕事向いてないのかな…」と思ったりはしましたが、「次に同じ失敗をしなければ…その分自分がこの仕事で成長できてるんだな」というのを実感できるので、とりあえず同じ失敗をしないようには心がけています。…「乗り越えた」とは言い難いですけどね(笑)自分の気持ちを常に変えていかなきゃいけないんだなというのも感じています。後に引きずらずに、成長できる形にしていかなきゃなと思っています。

齋藤 いま1年経った段階で近い将来の目標として「こうなっていきたい」って思っている事はありますか?

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福迫 早く仕事の全体的な流れをつかめるようになりたいです。仕事の流れがわかっていないと、どこかでつまずいてその度に聞きに行かなきゃいけないので。初めて入る職業なので、まだわからないことだらけなので…。早く「こういうものなんだ」と、自分の中で確立していかなきゃなという思いです。

齋藤 ではその先の数年後のビジョンはありますか?

福迫 いずれ職人として独立して、この職業で一本立ちしていけたらいいなと思ってはいます。

齋藤 僕は職人の世界の事を知らないので伺いたいのですが、福迫さんが見たり聞いたりしている中で、それが叶うのは、だいたい何年かかるイメージなのでしょうか?

福迫 最低10年だとは思っています。それぐらいはしなきゃ仕事も覚えられないし、一人でできるようにはならないだろうと思っています。三条市からは研修生としての補助(給与)が5年間だけですが、補助が終わっても日野浦工房にいて、まずは最初の10年を頑張って、10年後にまた自分がどうやっていくかを決めたいなと思っています。なので最初の5年で研修が終わったので独立しましょうっていうのは無理だとは考えています。

齋藤 独立する予定の30歳、どういう人になっていたいとか、独立した時の将来ビジョンってありますか?

福迫 新しいモノを造りたいって言うのは僕には無かったのですが、昔ながらの鍛冶という伝統的な仕事を受け継ぎたいなというのがあります。

齋藤 独立は三条で考えていますか?もしくはいずれは地元に帰る予定でいますか?

福迫 地元に帰るという考えは無くて、三条市の中でと思っています。

齋藤 福迫さんの熱い思い、とてもよく伝わってきました。では、最後にお聞きします。「燕三条の未来を切り拓く力になるために必要な“力”はなんだと思いますか?」

※福迫さんの答えは動画をご覧ください。

若くして「職人」の道を目指す福迫さん。志。夢。やっぱり想いが強い人はすごいです。そんな福迫さんの作業中のオフショットです。

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真剣なまなざし。手元に飛び散る火花。

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1日1日と職人へと近づいていってるんでしょうね。

いかがでしたでしょうか。第11回の若者大陸。記事をみて燕三条をもっと知りたくなったら下にある「ボタン」をちょっと突っついてみてください(´▽`)。みなさんの1クリックが僕たちの励みになります!

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